iatrosの壺
老人の幸運? それとも非常識?
大川 藤夫
1
1広域行政事務組合立那須南病院内科
pp.26
発行日 1996年11月30日
Published Date 1996/11/30
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905396
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既に超高齢化社会を先取りした田舎の小病院(ベッド数50床)では,種々雑多な疾患を複数有する老人患者が診療の中心となっています.日々繰り返される診療のなかで,到底常識では理解できないようなことに遭遇することがあり,これこそが臨床医にとっての秘かな楽しみの一つでもあります.そのような患者の中でも特に印象的なのはMばっちゃんのことです.年齢は90歳を超え,背中の曲がった息子の手に引かれながら杖をついて今日も外来に来ます.「もう私の友達は近所にはいなくなってしまい,車で送ってもらわないと友達にも会えず,とても寂しい」と愚痴をこぼす一方で,若い頃教師をしていただけあって少し難聴気味にはなったものの,毎日欠かさず新聞の隅々まで目を通すことを日課としています.85歳を過ぎてからの数年間に,Mさんは少なくとも2枝以上の冠動脈に狭窄病変を有する急性心筋梗塞とその後の心不全および心房細動を患い,さらに右中大脳動脈領域の脳塞栓を併発したものの,左半身不全麻痺と軽い視空間認知障害を残すだけに回復,それもつかの間,左大腿動脈の閉塞性動脈硬化症による左下肢循環不全に陥ったが,幸いこれもまた,壊死にはいたらず下肢のしびれと冷感を引きずるだけとなったのです.そのようなわけで,Mさんはついに観血的な検査や処置はもうこりごりなので一切断ると申し出たのです.
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