忘れられない患者
南洋テニアンでデング熱にかかる
青井 立夫
pp.146-147
発行日 1976年1月10日
Published Date 1976/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402206399
- 有料閲覧
- 文献概要
南洋テニヤンはかつての玉砕地である.中山義秀氏「テニヤンの末日」にも描かれているが,この小島での悲劇は医家にも無縁ではない.たまたま,その幕開きともいえる昭和19年4月末から6月11日まで,私はこの地の海軍航空隊にいたのであるが,灼けつくような陽光と木立のしげり,真赤な花をつけ,南洋桜とよばれていたほうおう木,さんご礁が白波を砕く,エメラルド色の海面,これらはいまもあざやかによみがえる.
ちょうどそのころ,隊内では,当時いう,カタル性黄疸が多発していた.むろん,易疲労感,倦怠感,脱力感,頭痛,食欲不振,悪心,嘔吐ではじまり,発熱の有無,黄疸の強弱などはさまざまであった.多くは1ヵ月前後の経過で,劇症例は記憶にない.やはり,流行性のウイルス肝炎であったろう.治療は安静,食餌(まだ低蛋白,低脂肪といわれていた),消化剤投与に,高張糖液とビタミンの静注など.そして将兵患者は,黄染の痕跡が認められなくなると,いずれも完治とされ,軍務に復帰,精励していた.肝機能検査といえばビリルビン時代であり,もとよりfollow upする余裕もない事情にあった.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.