アウトサイダーの窓
医者が病気になつたとき
早坂 泰次郎
1
1立教大社会心理学
pp.1266-1267
発行日 1964年11月10日
Published Date 1964/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200582
- 有料閲覧
- 文献概要
◆生命はとりとめたが……
私には開業医の伯父がいる。"医は仁術なり"と確信して,宣伝やハッタリをきらい,多勢の家族をかかえながら,町の片隅で黙々とはたらいてきた,尊敬すべき人物である。この伯父が,数年前に病気にたおれた。年も年にはちがいない。しかし,たおれてから,他の医師の診断ではじめてわかつたのだが,以前から糖尿病があつたところへ,急性胃拡張症を併発し,おまけに肺炎も,ということになつたらしい。糖尿だけのうちは,自分だけで治療をしていたらしいのだが,急性の合併症のためにどうにもならなくなつたのである。病状はきわめて憂慮すべきものであつたが(おそらく普通の場合だつたら助からなかつたにちがいない),息子が伯父の出た某大学の内科医局員であつたことから,素早い,そして手篤い処置をつくすことができたために,一進一退をくりかえしはしたものの,伯父は生命をとりとめることができた。ところが,問題はそれからである。治療にあたつてくれた医師たちが"もう大丈夫"と何度も保証してくれたにもかかわらず,伯父は起きあがろうとしなくなつてしまつたのである。もちろん年をとつてからの長期療養だから,体力の回復は時間もかかるだろうし,筋の萎縮のようなこともありうるのかもしれない。けれども伯父の場合には,どうもそればかりではなく,起きあがろうとする意志そのものが萎縮してしまつたように見えるのである。
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.