随筆欄
産婦人科医になつてみて
秦 清三郎
pp.135-136
発行日 1956年2月10日
Published Date 1956/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409201328
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大学を卒業する前後に於て多くの人々の最も迷うたのは何の專門科目を選ぼうかという事であつたが,当時の大学クリニツクは殊に内科外科が重要視され,多くの有名教授による講義や実習も多くあつたので,私も次第に内科方面に興味を持ち遂に内科医になるべく某内科に受験後入局を許され内科医となつた。
ところが非常に多くの症状や検査法を知つて診断をつけ,詳細精密な処方をしても容易には快方に向うことが少く,その上手術可能胃癌は外科に,手術不可能胃癌や肝癌は死亡するまで何んとか慰めようとして,長い間つらい嘘を言わなければならず,又肺結核に対しては安静食餌療法という位の心細い程度であつたので,一年を経過したころ内科的治療法というものに不満を感じ初めた。丁度その頃私の境遇は帰省開業をしなければならないかもしれない状態であり,もし田舍で開業するとせば産科の実際が必要となるために意を決して満一年にして内科から産婦人科に転向した。それから忙しいが緊張した産婦人科医局生活が初まり,他方都合よく帰省開業の必要もなくなつたために八年間も教室に御世話になり,昭和9年癌研附属の康東病院が出来た時初めて一人前の婦人科医として赴任したのである。
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