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2005年春、70歳台の某大学名誉教授が講義中にうとうとすることがあり、健忘もあるので、認知症が疑われ知人に勧められて当院内科を受診した。脳のMRIには異常なく、血糖336mg/dL, HbA1c 14.9%と高値であり、症状は高血糖のためと判断されて当科へ紹介された。血糖はインスリン治療により順調に改善した。入院中軽度の冠動脈狭窄も認められたが、特に治療を必要とするものではなかった。しかし、血糖が改善された後も、なんとなく動作や反応が鈍く浮腫も残っていたので、甲状腺機能を測定するとFT4が0.64ng/dLと低下、TSHが60μU/mLに上昇していた。甲状腺機能低下であり、TPO抗体、TG抗体ともに陽性で橋本病と診断した。甲状腺ホルモン剤レボチロキシンの投与を開始すると、FT4とTSHの改善とともに患者の認知機能は著明に改善し、また大学の講義に戻っていった。
「高齢者の認知機能や記憶が低下した時、すぐに認知症を疑うのではなく、ホルモンや代謝疾患を疑うことも忘れてはいけない」というのが本稿の一つのテーマではある。しかし、この患者さんから学んだことはそれ以上のことであった。彼は、インスリン注射や自己血糖測定を毎日しなくてはならなくても、ちっともいやな顔をしたことはない。良くなったことを感謝していつもにこにこしていた。甲状腺疾患のことを話しても、また白内障の手術を受けることになった時もいつも穏やかに微笑んでいた。特に転倒して左腕を骨折して入院となった時も、相当痛いはずなのにつらそうな顔をまったく見せず、冗談を言ってわれわれを笑わせた。彼は戦争中に親友を失うなどつらい体験をし、戦後、倫理学を教えているが、いつもユーモアを大切にしている。私の外来はいつも混んでいて午後になると疲れてしまい、表情にも出ていたと思う。ある日、彼は私に「先生、疲れていますか?」と言って自作のエッセイの載った雑誌をくださった。それには「嬉しいから笑うのではなく、どんな状況でも笑うと気持ちが明るくなる」ということが書いてあった。
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