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最初は3年のつもりで2002年にアメリカに渡ったのですが,あっという間に10年が経ってしまいました.その間,7年近く本誌にエッセイを書く機会を与えていただきました.異文化に身をおいて,日本にいた時以上に「コミュニケーションをうまくとる」ことの難しさ,必要性について深く考えてきました.最初の数カ月は電話での会話が不安だったので,ポケベルがなっても電話で対応せずに必ず病棟に足を運び,看護師と直接話をして顔を覚えてもらうようにしました.指導医からの指示もコミュニケーションミスを防ぐために“So you want me to do……, right?” “What I need to do is…….”という感じで,相手にyes, noで答えてもらう工夫をしていました(いまだに電話では“can't”と“can”がわからなかったりすることもありますが).また,「教えられ上手になる」ためにどうしたらよいか,そんなこともよく考えていました.
フェローシップに応募した時は自分の下についた医学部生にpersonal statement(志望動機書)の添削をしてもらったこともあります.その頃はElectronic Residency Application Service(ERAS)ではなく,各プログラムが独自に郵送による募集を行っていたので,自分をわかってもらうために写真付きの自己紹介年表を作って同封しました.面白いと思ってくれるか,余計なことだと思われるか,ある意味賭けでしたが,好意的にとってくれないところは自分には合わないだろうと腹を決めて出しました.面接では,初めて会った人に熱意とパーソナリティを伝えるコミュニケーション力を試されました.
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