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考えるということ
北村 聖
1
1東京大学医学教育国際協力研究センター
pp.463
発行日 2003年11月30日
Published Date 2003/11/30
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402102457
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臨床は意思決定の連続ということができる.意思決定といってもすべてが重いものではなく,「今すぐ診察しようか,食事の後に診察しようか」など,つまらないことを含めすべての行動が意思決定の連続といってもよい.その意味で,臨床能力が向上するということは言葉を変えれば,臨床上の意思決定が正確に,効率よくできるようになることといえる.
意思決定論については,認知心理学や,あるいは経営学などで取り上げられている.少しではあるが医学の分野でも取り上げられている.代表的なものが,ヒューリスティック(heuristics)と呼ばれるもので,「直観」とか,「経験に基づく単純化された決定方法」というふうにいわれる.多くは無意識に用いられる.たとえば「みぞおちのあたりが痛い」と言う患者をみれば,多くの医師は食事と痛みの関係を尋ねる.しかし,労作との関係は尋ねない.これは,心窩部痛が胃潰瘍など消化器疾患であることが多いことを経験的に知っており,狭心痛が時に心窩部痛と訴えられることは知識では知っていても,頻度が少ないため実際の臨床現場では思い浮かばないことによる(利用可能性バイアス).一般には,ヒューリスティックは思考の陥穽と促えられ,規範的・理想的な思考ではヒューリスティックに陥らずに,すべての可能性を考えて対処するようにといわれる.しかし,ヒューリスティックには思考の節約といった意義があり,現実の臨床ではあながち悪い思考とばかりはいえず,「効率的な思考」と促えることも可能である.特に,救急など,瞬時に的確な判断を要する場合は,より多くの経験が求められ,この「経験」が「より精緻なヒューリスティック」を指している.
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