保健活動—心に残るこの1例
話すことの困難事例から学んだこと
山本 博美
1
1愛知県蒲郡保健所
pp.285
発行日 1993年4月15日
Published Date 1993/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900791
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脊髄小脳変性症のYさんとの出会いは,前任保健婦に引き続いての訪問で昭和62年の5月でした.入歯をはずしていて本人の言っていることがわからず,何度聞き直してもはっきりわからず,震える手で筆談してくれました.内容は介護者の夫が帰ってくるまで待っててほしいということでした.その一言を理解するまで何分かかったでしょうか.
Yさんとの関わりは昭和59年から開始しています.家族は夫と娘夫婦と孫2人で,夫が介護していましたが,私が初めて訪問した時は,徐々に日常生活動作が悪くなってきていた時期でした.夫が帰って来て,今までの経緯について夫なりに状況を話してくれました.しかし,Yさんの話を聞きたいと思い,次の訪問で五十音表を持っていきましたが,うまくいきませんでした.いつも夫のほうが話して,本人がどう思っているのかわかりませんでした.訪問のたびに,夫が自分の介護について話してきて,私が聞き役になっていたように思います.夫の介護についてはポータブルトイレの設置の場所を本人の状況からすると変えた方が良かったり,食事の内容についてプラスしてほしかったり,いろいろ保健婦の思いはありましたが,夫の介護力も考えて少しずつ伝えようと考えていました.
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