公衆衛生人国記
愛知県—戦後混迷期の指導者たち
青木 國雄
1
Kunio AOKI
1
1名古屋大学医学部予防医学教室
pp.345-347
発行日 1990年5月15日
Published Date 1990/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900101
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戦前から名古屋を中心に工場が多いこともあり,労働環境衛生については関心が高かった.大正6年,日本で初めて工業医会が創設されている.昭和10年には現名古屋大学(以下名大と略す)に衛生学講座が新設され,内務省社会局の全国産業労働衛生監督官の鯉沼先生を教授に迎えている.当時の学長田村春吉教授は,治療医学と同時に予防医学も重視され,田中広太郎愛知県知事らと計って,昭和17年予防医学講座を設立されている.法医学には東京大学から新進の小宮教授が迎えられ,犯罪鑑識に活躍されていた.昭和24年には新設の公衆衛生学講座にわが国の疫学の父ともいうべき野辺地教授を迎え,公衆衛生学部構想の実現にまい進されていた時代であった.
生活難と不安,混迷の世であり,大学もほとんど校舎が焼失していたが,教授陣,職員の志気は高く,医のあり方,将来を論じ,職員一丸となって大学の復興に努め,全国を行脚しての募金活動もあって,昭和23年には新設の槌音をきくに至った.予防医学,社会医学への志向が極めて強く,住民は大学に対して大きな期待と信頼をもっていた.終戦直後の愛知を指導した先生方は名大にありといってもよい時代だった.ここでは戦後10年間の指導者を紹介したい.誌面も少なく,現職の大学人では筆者のみが先生方の声咳に直接接しているので,不肖ながら代表して筆をとることとなった.
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