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結核病院入院で見た結核医療のレベル
月の半分は、地方のクリニックを中心に、コミュニティー・ヘルス(primary health care: PHC)の支援をしていたが、残りの半分はダッカにいて、シャモリの中央結核センター、その隣の小児病院、モハカリの結核病院などを定期的に訪ね、そこの医師たちと一緒にセミナー、症例検討、講義、調査研究などで忙しく回っていた。当初は車もなかったので、人力車(リキシャ)による移動であった。シャモリでは、Motivation Roomに行って外来患者さんに会って話をしたり、そこで働くスタッフを励ましたりしていた。
ダッカ市のモハカリという地域には、保健医療関係の施設が集まっているが、その一つが500床の病床を持つ胸部疾患研究所(Institute of Chest Disease and Hospital: ICDH)である。一般にはモハカリの結核病院と呼ばれていた。この国で最大の胸部専門病院だが、ほとんど系統的な入院患者のまとめがなされていなかったので、ここのアーサン・アリ医師(Dr. Ahsan Ali)と二つの分析をやってみた。彼は結核研究所の研修に来た経験があり、ダッカ大学の教授職も兼ねており、私利私欲が少なく温厚な人柄、研究熱心であった。1979〜1980年の2年間の入院患者総数は4,242人で、結核が8割を占めていた。女性病床が限られていたので女性が少なかった。最初の分析は死亡要因に関するものであった。この期間中で435人が死亡しており、そのうち164人を無作為に選んで、臨床経過を詳しく調べ、直接死因の推定を行った。半数は全身状態が重症であったためで、8割が2カ月以内に亡くなっていた。つまり、病院に入院したときにはすでに重症化していたのであった。4分の1は結核が重症でなく、喀血や気胸によるもので、これらは適切に対応していれば死亡を避けられた可能性が高いと思われた。
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