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バングラデシュに派遣される
——なぜバングラデシュを選んだか
さまざまな勉強をして、いよいよ海外での仕事をする用意ができたと1976年暮れにロンドンから帰国した。いったん結核研究所に復職し、診療、地域での検診、疫学研究の生活に戻った。結核研究所からは、国際協力事業団(JICA)のプロジェクトがタンザニアやネパールで始まっており、専門家として行くように強く勧められた。私としては、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)で行く前に、途上国の現場経験のためにJICAで行くことは良いと思っていた。しかし、タンザニアもネパールも他に専門家として行く人が出てきて、私が行く必要がなくなった。このとき私は思った、「これは神がJOCSで行く道を開かれたのだ」と。そこでJOCS海外プロジェクト責任者になった岩村昇先生にその旨を伝えると、三つの派遣先候補を挙げられた。ネパール、ブータン、バングラデシュでミッション団体から結核専門・公衆衛生医が求められているという。JOCSは現地のキリスト教団体にワーカーを送るのが原則だった。ネパールはぜひ行きたい、ブータンは何となくひかれる。バングラデシュはあまり気乗りがしない。気温も高いし、ヒトがしつこそうで働きにくい気がした。
しかし岩村先生は、「バングラデシュに行かないか」と強く勧められた。先生によれば、「ネパールでは、外国人が主体になって、ネパール人はその下で働く体制になっている。バングラデシュは人材も豊富で、派遣先候補の団体—キリスト教保健プロジェクト(CHCP)の責任者は現地人女性医師で、日本人は、その下で働くことになる。しかもあなたは、いわゆる働き手でなく、アドバイザーとして行くのだ。われわれの今後の働き方としては、その方が良い」という。私は、このことの意味が十分に分からなかったが、「人が分かれ道に立ったとき、いやだと思う方に神様の御心がある」という牧師の言葉を思い出し、「バングラデシュに行きます」と答えてしまった。ある意味で、岩村先生にだまされた、と言えるが、騙(だま)されるのでなく、黙(だま)らされるという意味で、俺についてこいという先輩の言葉と捉えたのである。後になって、この言葉の真実味が理解できるようになった。
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