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あとがき/投稿申し込み書/著作財産権譲渡同意書
高鳥毛 敏雄
pp.712
発行日 2016年9月15日
Published Date 2016/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401208518
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阪神・淡路大震災発災の数日後に,徒歩で神戸市に入った時に目にした三ノ宮の街並みの惨状は信じられないものでした.その後2カ月余り神戸市中央保健所に滞在し,集まってくる避難者や医療救護チームの情報を整理するお手伝いをさせていただきました.当時の公衆衛生活動は,顕在化してきたニーズに突き動かされて行われるようになったものでした.保健所に精神科救護所を設置,全国規模の応援・派遣保健師の投入,災害関連死や孤独死防止の巡回活動,福祉避難所の設置などです.災害時の公衆衛生活動として体系化,マニュアル化されたのはその後のことです.
阪神・淡路大震災の後に構築された公衆衛生活動は東日本大震災には十分に対応できなかったことが厚労科研の研究班の報告書の中で指摘されています.そのため,公衆衛生関係者の有志からなる「災害支援パブリックフォーラム」が立ち上げられました.フォーラムで議論されたことが,災害時健康危機管理支援チーム(DHEAT)の創設として結実に至っています.災害は一つとして同じものはありません.そのため被災地の状況にあわせ,臨機応変に,現実的に対応する公衆衛生活動が求められます.これは本来の公衆衛生活動に近いものです.
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