特集 公衆衛生と危機管理
災害時の情報伝達と住民の対応
田崎 篤郎
1
Tokuro TAZAKI
1
1群馬大学教養部
pp.82-85
発行日 1988年2月15日
Published Date 1988/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207613
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■伊豆大島噴火災害時の住民の対応
昭和61年11月15日,伊豆大島の三原山は12年ぶりに噴火した.年々観光客が減少していくなかで,最大の観光資源である三原山の噴火は,島民にとっては久しく待ちわびていたものであった.事実,噴火後の数日間は,伊豆大島は噴火見物の観光客で大いににぎわい,島民は「御神火様」の到来を大いに喜んだ.大島観光協会は,東海汽船とタイアップして御神火見物のナイトツアーを開始し,外輪山の展望所には1,000人以上もの観光客や島民でにぎわうほどであった.伊豆大島の人々にとっては,数日後に大噴火が起こることなど,思いもよらぬことであった.
しかし,一時鎮静化した三原山の火山活動は,11月21日午後4時15分,大噴火というかたちで再開した.この大噴火は,カルデラ内の割れ目噴火から始まり,北西外輪山外側の北山腹での割れ目噴火と広がっていった.そして,島の東部には多量のスコリアを降らせ,割れ目からあふれた溶岩は島最大の集落,元町へと向かって流れ出した.また,震度5の地震2回,震度4の地震13回をはじめ,242回の有感地震がこの1日に集中的に発生した.このような事態に見舞われた大島島民は,わが国火山噴火災害史上初めての全島民の島外避難と,約1カ月にわたる避難所生活という過酷な試練を経験することになったのである.島外避難は,21日の夕刻から22日の早朝にかけて行われた.
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