特集 公衆衛生50年の回顧と展望
疫学の回顧と展望
重松 逸造
1
Itsuzo SHIGEMATSU
1
1(財)放射線影響研究所
pp.41-43
発行日 1986年1月15日
Published Date 1986/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207190
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■はじめに
西欧における疫学の起源を,遠くは紀元前のHippocrates(ヒポクラテス全集),近くは19世紀中葉のJohn Snow(コレラ伝播様式)の業績に求めるとすれば,これに対応するわが国での疫学の先駆者は,さしずめ平安中期の丹波康頼(医心方)と明治前期の高木兼寛(脚気研究)ということにでもなろうか.明治末期には緒方正清の富山県くる病調査報告や,大正初期には内務省の発疹チフス流行記録など,今日の疫学からみてもレベルの高い業績が存在するが,全体的にみれば当時の疫学がまだ黎明期を脱していなかったことは事実といってよい.
ちなみに,明治時代はEpidemiologie(ドイツ語)の訳語として,疫癘学(森林太郎,明治22年)や疫病学(富士川游,明治45年)などがあり・その後流行病学,疫学,疫理学などが用いられたが,日本医学会医学用語委員会選定用語(昭和18年)としては,"疫学" と "流行病学" の両者が採用されて今日に至っている.ただし,現在普及しているのは "疫学" の方で(中華人民共和国では "流行病学"),この言葉がわが国で初めて公式に用いられたのは,昭和5年に創設された東京帝国大学伝染病研究所疫学研究室(主任:野辺地慶三)であった,この研究室は,昭和13年の公衆衛生院開設とともにその疫学部(初代部長:同前)として新発足した.
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