連載 公衆衛生の道・4
防疫から保健所へ
山下 章
1
1東京医科大学衛生学公衆衛生学教室
pp.465-469
発行日 1975年7月15日
Published Date 1975/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205039
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防疫課長事始め
防疫と衛生統計の目のまわるような忙しい,しかし張りのある毎日を送っていたある日,突如防疫課長を命ぜられた.当時の防疫課の職員は26名であったが,その大部分は警視庁出身者で占められており,年齢も37歳の私は13番目であった.しかも当時防疫は衛生行政の中心であった.重い責任をずっしりと感じた.
真先に取りあげたのは,防疫活動に思い切って疫学的技法を導入することであった.まず防疫課に新卒の医師2名を採用し,この2名を中心に疫学調査班を新設した,このうちの1人石丸君は,その後公衆衛生院の医学科正規課程を終え,広島のABCCで疫学を担当し,立派な疫学者になった.彼がピックバーグ大学で1年間フェローとして疫学を専攻して帰国したとき,「先生に教わったこととちっとも違いませんでした」と,ぽつんと言ったことばに,私は大変に感動した.足と体でぶつかる現地疫学を,ただきつく,きびしく手ほどきしたに過ぎなかった私には,たとえようもないほどすばらしい贈物であった.系統的に教えこまない前から,集団発生があると担当させた.報告書に原因不明とは絶体に書かせなかった.「原因のない集団発生はない」,調査に当る心がけとしていつもそう言い続けてきた.防疫課の医師はその後5名にもなったが,誰もがすばらしい能力の持主であり,事実原因不明という集団発生はまずなかった.
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