連載 公衆衛生の道・2
防疫一筋に
山下 章
1
1東京医科大学衛生学公衆衛生学教室
pp.320-324
発行日 1975年5月15日
Published Date 1975/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205011
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応召6年
種痘とジフテリアの予防射注にあけくれた3年,その間にも駒込病院や葛飾病院(いずれも当時は伝染病専門病院であったが,前者は近代的な総合病院に発展し,後者は廃院となった)に派遣されて伝染病診療の訓練をさせられたり,都立診療所で夜間診療を担当させられたこともある.この間2ヵ月半の軍医予備員の教育も受けた.
公衆衛生院で1年間あけた防疫課には,いろいろな仕事が待ちうけていた.まず京橋の保健館の内田勇四郎防疫部長(ほんのちょっとの間しか師事できなかったが,強い印象を受けたので特に名を書かせていただいた.昭和16年応召戦死された)について,じっくりと赤痢の調査をせよ,ということであった.当時は赤痢・疫痢の猖獗をきわめた時代であった(昭和13年から15年の3年間に261,159人の患者と68,870の死者がでている).
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