連載 公衆衛生の道・3
防疫一筋に(続)
山下 章
1
1東京医科大学衛生学公衆衛生学教室
pp.398-402
発行日 1975年6月15日
Published Date 1975/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205026
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一挙に明治初年に逆もどりしたような昭和21年であったが,アメリカ駐留軍の支援もあって,ガード下やスラム街の発疹チフスを除いては,外来伝染病は一応落付きをみせた.しかし常在伝染病は,現在からは想像もつかないほどはなばなしいものであった.麻疹,百日咳,ジフテリア,それに結核も梅毒も淋病も多かった.22年には流脳の異常な流行があり,23年には日本脳炎が大流行した.また,22年キャザリン,23年アイオン,24年キティと3年連続台風も襲来し,防疫陣は転手古舞だった.引き続いて原因不明の給食熱,七島熱の発生があり,防疫技師の仕事は本当に忙しかった.
その上私は23年から26年防疫課長になるまで総務部兼務を命ぜられ,人口動態を主とする統計を担当,保健所の統計事務の指導もすることになった.
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