発言あり
独居老人
K
,
T
,
Y
,
M
,
A
pp.577-579
発行日 1973年9月15日
Published Date 1973/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204714
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生きるとは何か?
老人問題を考える時,いつも思い出すのは,数年前,山奥の無医地区へ検診に行った時の出来事である.その日,役場の保健婦から往診を頼まれた.老衰のため数年前から寝たきりのおじいさんで,山奥なので医師も往診に応じてくれない,死ぬ前に一度でいいから医師に診てもらいたいという家族の強い要望なので,是非頼むとのことである.医師免許証が涙を流しているような医者だから……と丁重にお断りしたが,どうしてもという保健婦の粘りに負けて,重い腰をあげた.
患者宅に着いてみると,途中で保健婦から聞いた話の通り,家族全員が献身的に世話をしている様子が一見して分かった.おむつを当てたままだが,褥瘡ひとつない.型通りの診療をしてみたが,多少耳が遠いだけで,やぶ医者の小生には病的所見は全く見当らない.まさしく「枯れた」としかいいようのない状態である.眠っている間以外は天井を見つめたままの毎日だという,こんな時どう説明したらいいのか,言葉の持つ意地悪さを恨みながら必死に考えたが,どうもうまい言葉が見当らない.そして,口をついて出た言葉はわれながら情けなかった……"どこも悪くないから,まだ長生きできますよ".つぎの瞬間,老人のはじめてつぶやいた一言が雷のように耳に響いた……"長すぎます".小生は恥しさで逃げるようにしてその家を辞した.
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