特別寄稿
光化学スモッグのメカニズムと東京における現状
大平 俊男
1
1東京都公害研究所大気部
pp.659-665
発行日 1972年10月15日
Published Date 1972/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204564
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光化学スモッグは1940年代にロスアンゼルスにおいて植物被害という形で初めて現われ,1950年代にいたって眼刺戟などの健康障害がロスアンゼルスの人々を悩ませるようになった.また,わが国ではオキシダント常時測定結果からみて,東京においても光化学スモッグが存在することが以前から指摘されていた1)が社会問題化するようになったのは,1970年7月18日の立正高校事件からである.
光化学スモッグに関する基本的な反応理論についてはHagen-Smittらによって,ある程度のことが解明されており,わが国においても柳原らによってスモッグチャンバー実験などが行なわれ2),基礎的な光化学反応理論が確められている.しかし実際のフィルードにおける光化学スモッグでは,反応理論どおりに説明できない現象があり,2次汚染が1次汚染に比べて複雑であることを現わしている.
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