特集 重症心身障害
重症心身障害の基本的問題
大島 一良
1
1都立府中療育センター
pp.648-655
発行日 1971年11月15日
Published Date 1971/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204368
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- サイト内被引用
昭和42年8月,児童福祉法の一部改正があって初めて,重症心身障害児施設は,福祉法による福祉施設として正式に認められたのであるが,その前,2年程は厚生次官通知により,福祉施設に準ずるものとして,補助を受けてきた.しかし,それ以前は,全く法の谷間として,苦難の道を歩かせられてきたのである.
その一つは,乳児院からの出発である.すなわち,現島田療育園々長の小林博士のたどった道で,博士が,日赤乳児院長時代,現在重症心身障害児と称せられるような乳児を,乳児院で受け入れてきた.これらの乳児は次第にたまってきたが,引き取り手はなく,措置上にも問題になり,遂にたまりかねて,昭和32年5月の全国社会福祉大会にて,博士は重複欠陥児について,「児童福祉法によって措置されない矛盾について」と題して問題を提起した.これが社会に対する第一声となったのである.昭和33年4月,東京都社会福祉大会において,再びこの問題を提起し,同年6月の全国社会福祉大会で,東京都社協の提案として,「重複障害児の処遇とその対策について」と題して提出した.この年の大会では,富山県,滋賀県,石川県,千葉県などからも同様の提案があり,漸くその重要性が認識され,「全国的な重症心身障害児対策委員会の設置」が決議され,同年11月に委員会が設置された.ここで初めて「重症心身障害児」の表現が用いられ,表現が統一されたのである.
Copyright © 1971, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.