人とことば
L. Phelps氏の衛生統計への貢献
渡辺 定
1
1厚生省統計調査部
pp.513
発行日 1970年9月15日
Published Date 1970/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204128
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昭和10年頃,日本人の平均寿命は男子46.9年,女子49.6年と50年以下であり,当時世界で寿命の分っていた35カ国のうち26番目で,日本より短命の国はビルマ,インドなどの熱帯国であったのに驚いた.日本人は温帯に住み,医学も当時,世界水準だと自負していながら,どうしたことか,日本人の体質が劣っているのか,生活環境がわるいのかと当時の死因統計を首引きして調べたところ,結核死が多く,昭和14年にかけて増している.そこで,男女別,年齢群別に結核死亡率を調べようとしたらその2年以前までしかわからない
発表が遅れる原因を調べたら,寄留地死亡を本籍地に直してから集計するためとわかり,随分うかつなことが行われているものと思った.第二次大戦後内閣統計局に衛生統計改善の委員会が設けられ,進駐軍の衛生統計方面主任のMr. L. Phelps(ヘルプス)が列席して「何か日本の衛生統計に苦情はないか」の質問に私は前述のことのほか沢山の文句を並べたら,翌日,GHQにちょっと来いの指令があり,ヘルプス氏から「お前は昨日21の文句をいったがも一度繰返して見よ」というので述べたところ,ヘルプス氏は死因統計などは所管を厚生省へうつす,死亡届は寄留地でやると断言されたが,私は困難だと思った.
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