人とことば
留学当時
緒方 益雄
1
1岡山大
pp.69
発行日 1970年2月15日
Published Date 1970/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204024
- 有料閲覧
- 文献概要
私がベルリンの衛生学教室に留学した当時は,第一次大戦後でまだドイツは戦後困難の時で,石原房雄先生の紹介で入室でき矢崎慈大名誉教授もすでにHahn教授の指導で研究されていた.以来45年も経過したが,お二人とも元気で,なお学界のために研究しておられる.当時を思い出しながら教室の模様をご参考までに申し上げる.
教室は有名なブランデンブルグ門の近くでドルテーン街にあり,医学部に属しているよりは,独立の研究所といった方が当てはまる.会計も講義も独立しているのが日本と違っている.所長はHahn教授で,細菌と血清学,私の先生は環境衛生のKorff-Petersen教授,他に細菌と皮膚温のHeymann教授,社会衛生のGroszean教授とOlsen講師とが主なStaffで,学生は自由に好きな講義を聞いて単位を取り国家試験を受け,一人前の医師となり6カ月自分の好きな基礎の教室で仕事をして発表すれば"ドクトル"の称号を与えられる.当時,研究所には留学生として中国人,南米人と集まり戦後とは思えぬ盛んな教室であった.
Copyright © 1970, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.