検査の昔ばなし
阪大中検発足当時の思い出
吉田 常雄
1,2
1国立大阪病院
2阪大
pp.42-44
発行日 1975年12月1日
Published Date 1975/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543200942
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台風が縁となった中検構想
昭和25年(1950)9月,関西一円を襲ったジェーン台風は,当時ようやく戦時中の荒廃から再起の兆しを見せ始めていた阪大病院地下全域を,水没という憂き目に陥れたものであった.早速清掃,修理がなされたものの,その後,特に本館地下の部分をいかに活用するかは院内の大きい課題となった.これを従来どおりに各科に細分すれば1科当たりとしてはさしてプラスにはならない.このまとまったスペースをより一層効果的に使用する方法はないものかと,そのころ第1内科講座を担当しておった筆者も教授の一員として種々,想を致したのであった.
戦後,欧米の医学は従来のphysical diagnosisからlaboratory diagnosisへと大きく変貌を遂げていた.臨床検査の能率は貴ばれ,病院を訪問して,ある患者について主治医と会話中にもすぐその患者の検査成績が届けられるという状況になっていた.しかるに我が国の実情ではなお乏しい資料の中でまず態勢の立て直しに懸命で,とても新しいシステムに目を向ける余裕を持ち合わせていなかった.
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