特集 保健所活動30年記念特集
保健所活動30年史
回顧と現状
保健所とともに歩む
保健所生活18年で得たもの
小島 武雄
1
1宮城県宮黒保健所
pp.510-513
発行日 1967年9月15日
Published Date 1967/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203528
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ソビエトで公衆衛生に開眼
私の保健所生活は18年にしかならず,それ以前の保健所については本とか先輩の話を聞いて察知するよりほかはない。戦前は健兵対策であり,戦後の数年はアメリカによる進駐軍の対策で,ほんとうに日本人自体による保健所行政はごく最近になってからであろうと考えられる。それにしても急激に目ざましい進歩発展をとげたものだと驚嘆のほかはない。
私が保健所にはいった動機はソ連における抑留生活4年の体験からかもしれない。いまのソ連のことは雑誌や新聞などからしか知ることはできないが,昭和20年10月ソ連に抑留され,ドクターとして勤務して驚いたことは,治療面はともかくとして,いわば疾病の予防にひじょうにうるさいことであった。部屋の掃除がきたないとか,便所の消毒とか,炊事の問題とか,髪を刈れとか,爪が伸びているとか,とくにしらみの駆除についてはきわめてきびしかったことには驚かされた。しらみについてはその後猛烈に発疹チフスが流行し,たくさんの死者を出したことではじめてわかったのであるが,日本でわれわれが受けた医学教育はほとんど疾病の治療についてであり,その予防については何らの教育も受けていなかった。そこで,このような仕事は医者がやるものではないと考えていたので,環境衛生について科学的な認識を与えてくれたのはソ連の抑留生活のおかげであると考えている。
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