ひろば
保健所から民医連へ
小池 善一
1
1山梨県巨摩共立病院
pp.248
発行日 1967年4月15日
Published Date 1967/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203449
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簡易保険健康相談所に約10年余保健所に20年足らず,そして民医連に加盟の病院に4年足らずというのが医学部卒業後の約35年の私の職歴である。30年にわたる官庁勤めから民医連に入って一番強く感じたことは,ここの職員が自分から仕事を探し,進んで困難にあたるいきいきした奉仕精神に溢れていることである。医学や衛生についての素養のない事務職員が,法規と行政慣行をふりかざして医療その他の技術屋の足をひっぱるのが保健所や県庁衛生部の実情である。これに反して,人民の疾病を治療し,健康を増進することを主たる任務とする民医連では,医療の中心となる医師の要望はかゆいところに手の届くようにこれを充足させチームワークもよくして,100の力を120に働かせるようにもっていく。行政的に上から下を抑えつけるのでなく,医局,看護婦,衛生検査,給食などは毎週各部会を励行して各員の活発な意見を出させ,各主任はそれをとりまとめて院内の主任会議に出し,その要望の重要なものは月2回開催される常任理事会に出す。たとえば医師と看護婦は診療態度などについてまったく平等の立場で批判しあうのである。経済的にはもちろんガラス張りで,収入予定が満足されたらボーナスも支出予算どおり支給するという。政治的ならびに経済的民主主義を徹底させるように努力している。
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