随想 明日を担う公衆衛生
役人になった私
井出 そと江
1
1東京都梅ケ丘保健所
pp.443
発行日 1966年8月15日
Published Date 1966/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203317
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はじめてK保健所にはいった年に生まれた子たちが,もう今年は大学入学の年齢になっている。あらためてあの頃のみずみずしかった仕事への情熱をなつかしく思い出す。なにしろ,担当地区K町の衛生問題を1人で背負ってたつ意気ごみで,片道1里余の道を毎日のように自転車でかけ回っていた,まだSMなど特効薬のないときで,戦争に疲れ果て悲惨な状態に陥ってしまった結核患者を訪ねては,言葉もなく涙ぐんでしまったこともある。何とか感染を防止しようという一念から,時間外にツ反応を持って接種しに行ったり,集団赤痢が発生すれば,井戸水の消毒から戸口調査まで,果ては井戸水とゴミの処理が不十分だからと住民と一諸になって自治会を組織したり,とにかく夢中になってとび回っていた。
G. H. Q. の指導のもとに新制保健所として機構が変わってまもない頃,区役所清掃事務所と保健所と住民との懇談会があった。K町の赤痢多発の引揚者寮の小母さんとともに出席した。小母さんが熱心に発言しても,慣れない会合にはじめて出席したことと,区長や所長や偉い方々の前なのですっかり上がってシドロモドロ。たまりかねて,そばから"ゴミを毎日とりに来て頂きたい。何町に不潔地帯がある"などと発言してしまった。何とか解決のメドがつき,うきうきした気持ちで帰所してまもなく,所長から"なぜあんな発言をしたのか? あのような問題は環境衛生係に話すべきで君が直接言うべき筋あいではない"と注意された。
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