随想 明日を担う公衆衛生
保健所と住民
祖父江 昭仁
1
1岐阜県美浜保健所
pp.417
発行日 1966年8月15日
Published Date 1966/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203293
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昭和36年の夏のことだった。東海対癌協会の企画で,スメアテストによる子宮癌検診が行なわれることになり,最初の白羽の矢が私どもの保健所に当たってしまった。私どもの管内は,三河湾国定公園の西域を占める観光地とはいえ,たいへん封建色の強い後進地域であったため,ご婦人方が大切なところを簡単にみせてもらえるとは思えなく,そのため,衛生教育を主体に4日間だけ臨時にクリニックを開設することにした。当日は管内医師会の産婦人科の先生方が予診をとられ,診察は県産婦人科医会の浅井会長さん以下,愛知県下ではふだんご高診の機会さえ一般的には困難な大先生方が毎日3人つつ当たられた。せっかく遠路お越しいただいても,おそらく門前雀らが予想されるので,あらかじめそのつもりで来ていただくようお願いしておいた。先生方は一様に釣道具などを車に満載して来られ,その準備のいいことに,ほっとした。対象としては35才以上60才までの婦人約500名に個人通知を役場から出しておいた。事前に子宮癌に関する講演と映画の会をもち,大変な盛況で堂に満ちた数百のご婦人方の熱気は少数の講師以下,関係者男性の胸をあやしくさわがせたほどだった。さて,4日間のクリニックはどうだったか。結果は,4日間とはいえ,午後1時から5時までの開設で総数も230名ほど,つまり3人の先生方は釣りどころか休憩の時間さえなく,逆にきりきり舞いさせられてしまった。
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