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池田忠義君を偲ぶ
山下 章
1
1東京都麹町保健所
pp.720
発行日 1965年12月15日
Published Date 1965/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203168
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本誌の9月号に掲載された"西ドイツにおける公衆衛生看護活動の実情と考え方"が,池田君の最後の執筆であったであろう。前日まで特に東京都保健所長会副会長として,母子保健法対策のために大活躍をしていた彼が,突如東大の同クラスの中尾教授のもとに入院し,諸検査を受けた結果,すでに極めて重い病状の慢性腎炎であることがわかった。その後まる3カ月手厚い治療と看護を受けたが,その効はあらわれず,ついに10月24日51才の若い生涯を終った。池田君は昭和12年東大を卒業,結核療養所,労働科学研究所を経て,昭和22年から保健所長として,砧,蒲田,世田谷,大森と歴任し,見事な業績を残し,衛生行政官としてはまさに第一人者であった。また保健所長同僚間にも信頼が厚く,早くから代議員,幹事,副会長として重きをなしていた。口数は少い方であったが,静かに聴き考え,そして適切な判断を下した。「池田君がいいと言ったんだから大丈夫だ」彼の周囲の誰からもこの信頼を受けていた。童顔と立派な体躯の内に秘めた情熱はわれわれの及ぶところではなかった。全く私心のないただひと筋に住民の幸せを願ってひたむきに努力を重ねてきた。
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