追悼
神津照雄君を偲ぶ
吉田 操
1
1財団法人早期胃癌検診協会
pp.1870
発行日 2008年11月25日
Published Date 2008/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403101528
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神津照雄君が“定年まで1年余りだが,この時間は自分のために使うのだ"と嬉しそうに話すのを6か月前に聞きました.しかし今年の5月末に知らせを聞いて千葉に駆けつけたとき,既に意識がなく別れの挨拶を無言で交わしました.高齢化の時代に入って久しい日本で63歳は早すぎ,失うに惜しい人でした.
神津君と私は千葉大学医学部で同級生として過ごしました.受験戦争と言われる時代でしたが,彼にとって現役突破は当たり前でした.何事にも積極的である彼の姿勢は生来のものでした.1969年に卒業して,神津君はかつて中山恒明教授の主宰なさった母校の第二外科教室に,私は中山教授が新たに設立された東京女子医科大学消化器病センター外科に所属し,食道疾患を専門にすることになりました.このころは食道癌早期診断の黎明期にあり,1966年に本邦第1例目の“早期食道癌"が報告され,ファイバースコープの開発が始まっていました.われわれの世代は自然に食道疾患の内視鏡診断にのめり込むようになりました.食道の色素内視鏡検査法を開発,粘膜癌の診断ができるようになり,粘膜癌の病型分類を作り,粘膜癌の病態を明らかにし,局所治療で治癒できると確信できたので,内視鏡的粘膜切除法(endoscopic mucosal resection ; EMR)を開発しました.充実した毎日でした.
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