隨想
思つたままのこと—公衆衛生行政官から学界に帰りて
桑原 驎兒
1
1福島医大
pp.51-52
発行日 1953年12月15日
Published Date 1953/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201296
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井上(北大)瀨木(東北大)兩教授の推せんで福島医大の公衆衞生学講座主任教授として懐しい北海道の地を去つたのは今年の四月であつた。
過去をふりかえつて見ると私の人生遍歴も可成りヂツクザツク?コースである。私は昭和15年北大を卒業後直に公衆衞生院の医学一年コースに入つた。その頃公衆衞生院に一年間も自費で勉強に行くと言えば変り者の一人として取り扱われた。私は学生時代から社会医学とか公衆衞生とか,兎に角級友が当時見向きもしなかつたことに,興味を持つていた。そして躊躇することなく卒業と同時に上京し公衆衞生院に入つた私は確かに変り者であつたかも知れない。設立日も浅い公衆衞生院の同期生には変り者が多数集つていた。私と一緒にはるばる札幌から公衆衞生院入りをしたもう一人の北大卒業生がいた。今も公衆衞生院小児術生で研究一路の道を歩く親友林路彰君である。あの一年間私は公衆衞生院で多数の友を得今後公衆衛生を開拓せんとする同志を得た。現在大阪府の医務課長をして居られる鶴崎敏胤君,昭和医大の助教授小池重夫君,釧路保健所長の永井胖君,宮崎の保健所長,石井健夫君,又当時満洲国からの留学生で現在中華民国台湾省台北衞生院の王洛君等はこの時以来の忘れ得ぬ友達である。この一年間は私に自分の将来は学界であれ,行政であれ,又民間であれ,公衆衞生の大道から一歩も踏み外すまいと云う強い決心を作り上げさせた。
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