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死因統計からみた第二次世界大戰前後における日本のワイル病について
北岡 正見
1
,
井上 裕正
1
,
小林 一郞
1
1國立豫防衞生研究所
pp.12-20
発行日 1952年11月15日
Published Date 1952/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201125
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まえがき
1915年ワイル病の病原體が稻田先生によつて發見されて以來,それと類似のレプトスピラ(以下レと略)症の存在が相次いで發見され,レ症も複雑となつて來た。そしてワイル病及び2〜3の類似疾患については疫學1)2)3)4),臨床4)5)6),治療7)8)9),豫防10)及び抗原構造1)11)12)等の各分野に亙り可なり堀り下げた研究がなされた。しかし多くのレ症について尚解決すべき問題が殘されている。
文献を通覧するとわが國に於けるレ症の地理的分布範圍は,北は宮城縣から南は九州の南端に達し,所謂地方病として識られ,それぞれの地方においてその罹患率,致命率,罹患と性及年齡について調査報告されている4)13)14)15)16)。しかしそれ等のレ症は,北岡4)10)11)が屡々強調しているように,都會ではワイル病が,農村ではワイル病の他に秋疫A,B,Cの各レ,バタビヤレ,及びカニコーラ・レの6種が混在していることを忘れてはならない。我々はかねてから全國各地方のレ症報告を總括し,更に未報告の地方についてもレ症の有無を追及し,わが國におけるレ侵注状況を検討しつつある。
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