醫藥隨想
窓明け運動
楠本 正康
pp.150-151
発行日 1950年10月15日
Published Date 1950/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200726
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もう,かれこれ,10年の昔になるが,私が丁度,豫防局の結核課につとめていた頃,石川縣の結核死亡率は,毎年30をはるかに越えていた。私たちは,何とかして,この問題に手をつけなければならないと,いつも半ば希望をもつて考えていた。そして,これが石川縣でも縣政の大きな宿題であつたことは云うまでもない。
多分,昭和15年の6月だつたと思うが,石川縣知事の土居さんが,天皇陛下にお目にかゝつた時,陛下は石川縣の結核のことを大變御心配になつておられ,いろいろ知事さんに御質問があつた。當時のことだから,知事さんもすつかり恐縮して,その歸りみちに,まつすぐ結核課にやつて來られた。そして,結核豫防については,石川縣としても最大の努力をするから,厚生省としてもできるだけの援助をして欲しいとの話であつた。
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