論説
乳兒死亡率の動きに學ぶ
野邊地 慶三
pp.124-125
発行日 1948年1月25日
Published Date 1948/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200244
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我國の衞生諸示標は他の交化國家と異り,一進一退一向に改善の跡が見られないが,この中にあつて唯一の乳兒死亡率丈は近年著しく改善の傾向を示して居る。我國の乳兒死亡率は明治32年死因統計の開始以來大正10年頃迄は生産百に付15-6の線を上下して少しも低下せず,寧ろ少しづゝ上昇の傾きがあつた。それが大正10年(1921年)頃より急に低下傾向に轉じ,爾來年生産百に付き0.4の等差級數を以て直線的に遞下して今日に至つて居るのは誠に著明な現象である。尚著しい事實は米國の乳兒死亡率が唯20年先行する丈けで,之と附節を合せる様に我國の乳兒死亡の動きと全く同じ動向を辿つたことである。即ち米國の乳兒死亡率は1900年迄は生産百に付14の線を上下して少しも遞下することなかつたものが,1900年を契期として突如として遞下傾向に轉じて今日に至つて居る。しかも興味あることは,兩國の乳兒死亡卒の遞下率が殆んど同率で平行線を描いて低下して居ることである。遞下のスタートが20年の差があつたので今日我國の乳兒死亡率は米國の倍であるが,何れは米國の跡を追ふことは豫見出來るのである。
米國と我國の乳児死亡率に斯様に近時大異變の起つたことには何等か同様の原因がなくてはならない。米國に於ては乳兒死亡の下り初めた1900年頃から丁度衞生教育主義の運動が展開されたのであつて保健婦事業もこの頃から初められたのである。
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