沈思黙考【最終回】
ルールと「情の感覚」のはざまで
林 謙治
1
1国立保健医療科学院
pp.1005
発行日 2012年12月15日
Published Date 2012/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102624
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民間人になってはや半年過ぎた.社会風景のひとつひとつを,生活により密着したかたちで眺めるようになった気がする.現役時代と違って生活設計,健康管理,さまざまな事務手続きなど,日常生活のすべてが自分自身に直接かぶってくるからかも知れない.いずれ自分も世話になることを想定しつつ,最近利用者の立場から,いくつか老健施設を訪ねてみた.臭気が強いのに閉口した施設もあったが,まったくにおいがしない施設もあった.施設は介護保険で運営されているので,医療は大幅に制限されており,医師は健康チェックが主な仕事である.治療を要する場合は医療施設に送られ,入院すれば健康保険に切り替わるので,介護保険を打ち切られる.制度上そうなっているので一見問題がないように見えるが,現場感覚からすればやはり違和感がある.
入所者は老人であり,ほとんどは何らかの慢性疾患を抱えている.入院治療はともかく,きちっと健康管理をするには,いちいちクリニックに送るよりは,所内である程度の医療を認めたほうが入所者は助かるはずである.このような制度では臨床経験のある元気な医師は勤務を躊躇するであろう.一旦入院したとしても急性期を過ぎ,病気が長引いた場合,むしろ在宅医療が勧められる.老健ではリハビリが主であるからである.しかしながら高齢者世帯が急増している昨今,家庭の介護能力が著しく落ち,受け皿にならないケースが多い.テレビで報道されているような悲惨な情景はもはや特別なものではない.民間人としての違和感は,法に規定された制度と現実のギャップである.日本は法治国家であるから何事も法律に沿って実行すればよいという発想は,前回触れたようにパリサイ人と同じである.
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