沈思黙考
賢者から何を,どう引き継ぐか
林 謙治
1
1国立保健医療科学院
pp.726
発行日 2012年9月15日
Published Date 2012/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102539
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江戸時代に書かれた本居宣長の「養生訓」は健康増進を強調したことで公衆衛生関係者にもよく知られている.本居宣長は源氏物語や古事記の研究者として有名で,医業はむしろ副業と思われているが,本人は歌のなかでそれを否定しており,医業は本業であるとしている.若かりし頃,父親から医者になることを勧められ,京都で修行した.医者の修行は漢籍の読解能力が必須であるため,ほとんどの時間は儒学の書籍を読むのに当てられた.それを読解しているうちに漢学は所詮輸入学問であることに気づき,大和心は日本人が書いた古典にこそあると思うようになった.
古典研究の師匠は,国学の泰斗賀茂真淵,万葉研究の専門家である.宣長が数多くの和歌を作っては師匠の品評を仰いだが,万葉形式にもとるということで,ことごとく駄作とされた.師匠の酷評にもめげず,歌を送り続けた図々しさがあったという.源氏物語の研究では本文テキストが重要で,歌の部分は付け足しという当時の通説に異を唱えた.歌こそ本音の表現であり,本文テキストは敬語でしか話し手が同定できず,表現も婉曲であるので内容の真意をとらえにくいとした.常にオリジナルを求めた学者のようだ.宣長の有名な歌「敷島の大和の心を人問はば,朝日に匂う山桜花」は彼の美学の粋であり,死後本業の医者としての正式の第一の墓には遺骸を入れず,桜の咲く山のふもとの第二の墓に埋葬してほしいと遺言したのであった.
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