特別寄稿
「生を全うするまち」を目指して―JICAブラジル“Healthy City”のプロジェクトより
三砂 ちづる
1
1津田塾大学学芸部国際関係学科
pp.970-971
発行日 2004年12月1日
Published Date 2004/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100525
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パウロ・フレイレ(1921~1997)はブラジルの教育学者である.彼の名前が,いわゆる「開発」や「国際協力」関係者に与える一種独特の郷愁にも似た尊敬の思いは,世界中で共通している.フレイレ,という言葉が出るとき,世界中で同じように,「人々がより生き生きと生きること」が話されるのである.いまや当たり前とも言えるようになった,「住民参加」や「参加型方法」について,彼は具体的な理論と方法を提示した人だった.特に貧困層の「意識化」を目的とした識字教育法を1950年代後半から実践し,そのためブラジルの軍事政権から政治的に危険な人物とみなされて国外追放となる.後に民主化により帰国し,大学などで教鞭をとったり,サンパウロ市教育局長を務めたりした.住民主体の開発思想にもっとも大きな影響を及ぼした1人と言えるだろう.1997年に75歳で死去したとき,私はブラジルにいたが,新聞,雑誌が一斉に提示したしめやかで尊厳に満ちた記事を,今も忘れることができない.
ブラジルは「世界の矛盾がすべてある」と言われるような国である.いわゆる「南北問題」を国内に抱える.リオデジャネイロ,サンパウロを中心とする裕福な南東ブラジルに比べ,映画「セントラルステーション」の舞台となった北東ブラジルは,旱魃と飢饉を周期的に繰り返す貧しい地域である.そのような北東ブラジルの文化の中心とも言える,ペルナンブコ州レシフェがパウロ・フレイレの出身地である.レシフェには,フレイレとともに考え,実践し,悩んだ人たちが,まだ現場で活動している.ここではフレイレは,過去の人ではなく,今に生きているのである.
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