連載 New Public Healthのパラダイム―社会疫学への誘い・10
社会のありようと健康(3)―介入すべきは個人か社会か
近藤 克則
1
1日本福祉大学社会福祉学部
pp.815-820
発行日 2004年10月1日
Published Date 2004/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100490
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19世紀の中頃,ロンドンでコレラの流行を制圧したのは,住民に対する飲み水の煮沸や手洗いの指導など健康教育ではなかった.ジョン・スノウ(John Snow)が行ったのは,飲料水の供給源のポンプのハンドルを外してしまい,その水を使えなくすることであった1,2).つまり,個人への介入でなく,社会への介入である.
20世紀半ば以降の先進国においては,公衆衛生上の問題が伝染病から生活習慣病へ移ったのにつれ,減塩食指導や禁煙指導に代表される個人の生活習慣や行動の変容をめざすアプローチが対策の中心となっている.しかし,意外なことに,このような健康教育を軸とする個人へのアプローチの効果は,RCT(無作為化臨床試験)ではほとんど否定されている.イギリスのワンレス(Wanless)レポート3)では,有効だという根拠もなしに健康教育のキャンペーンに巨額の予算が費やされていると批判している.それを報じるBBCが「無駄なキャンペーン(wasteful campaign)」という小見出しまで使っているほどである4).
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