特別記事
[新春対談]「若月俊一先生」を語る
大谷 藤郎
1
,
松島 松翠
2
1国際医療福祉大学,高松宮記念ハンセン病資料館,フランスベッドメディカルホームケア研究助成財団
2JA長野厚生連佐久総合病院
pp.43-48
発行日 2007年1月15日
Published Date 2007/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100320
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2006年8月22日,佐久総合病院名誉総長の若月俊一先生が逝去された.「農村医学の父」と呼ばれた若月先生は,私たちにいったい何を残してくれたのか.長年親交の深かった大谷藤郎先生と松島松翠先生が,若月先生の生き様を語ります.
出会い
大谷 今日は,松島先生と私が今まで見てきた若月俊一先生の生き様を通じて,後世,つまり若い人たちに若月先生はどういうメッセージを残したかったのか,それを浮かび上がらせるような対談にしたいと思います.
まず,松島先生が佐久病院へ行くことになった動機とは何ですか.
松島 私は大学を卒業して1年して,昭和28年6月に東大分院外科に入局しました.その時はまだ若月先生のことも,若月先生が同じ医局のメンバーだということも,佐久病院も知らなかったのです.たまたま当直中に医局に『健康な村』(岩波書店,昭和28年)という本があるのを見つけました.著者に若月俊一とあり,目次を見ると,農村の「農繁期のむり」「はえやしらみをなくそう」「村の伝染病」「家庭薬とおまじない」「はらの虫退治」などいろいろ載っているわけです.面白そうだなと思ってページをめくったら,なかなかわかりやすく,やさしく書いてある.その当時,大学で1年ぐらいしますと外の病院に2年ぐらい行くことになるのですが,私はこのことが頭にあったものですから,佐久病院を希望しました.そこで初めて,昭和29年の4月,佐久病院で若月先生と出会ったのです.
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