招待席
農民とともに農民のいのちと健康を守る—佐久総合病院 若月俊一院長にきく
若月 俊一
,
石原 信吾
pp.58-68
発行日 1972年5月1日
Published Date 1972/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204656
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病院のいまの姿は,民衆のニードがつくり上げたものです……
石原 今日,お忙しいところをおじゃましましたのは今のように,病院がひどい条件に置かれているときにこれだけの卓越した業績をあげておられる先生のお話をうかがいまして,最近多少意気沮喪気味のわれわれ病院人に少し活を入れていただけたらということなんです.
とにかく,この病院を拝見しますとなぜこんなりっぱな病院がこういうところにできたか不思議がらない人はないと思うんですね.その促進要素といいますか,原動力になったものは何かということです.‘まかぬ種は生えぬ’といいますが,とにかく先生は種をおまきになった.しかし,一般的には病院にとって日本の現在の土壌というものは,なかなかまいた種が生えないという感じを持つんです.しかし,ここには奇跡的といわれるようなりっぱな殿堂が現にできあがっているわけです.そこでまず,その秘密は何かという,そのへんのお話からうかがえたらと思います.
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