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患者から学ぶ
希死念慮の臨床心理面接においてクライエントから学ぶこと
秋田 恭子
1
1東北福祉大学
pp.954-956
発行日 2024年12月5日
Published Date 2024/12/5
DOI https://doi.org/10.69291/pt50060954
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- 1ページ目 Look Inside
臨床心理の面接は個別に多様であり,その場の経験から学ぶ臨機応変が求められる。中でも希死念慮を持つクライエントとの臨床心理面接は極限的な面接状況であり,特に難しいのは,「何を(what)語るべきか」という論理の問題と,それを「いかに(how)語るべきか」という修辞の問題が不可分に絡み合う局面だ。論理と修辞の交錯は,「ものは言いよう」というように日常生活では茶飯事であり,われわれはそれを処理する生活スキルを人生経験から体得する。他方,確立された形式を持つ心理面接では,種々の理論や技法が,「何を(what)」の候補は示唆するが「いかに(how)」については相対的に手薄だ。希死念慮を持つクライエントとの極限的な心理面接は「薄氷を踏むが如し」であり,一方で適宜「ガス抜き」をしつつ,他方で「寝た子を起こ」さず,「火に油を注」がない平衡感覚が不可欠だ。そのためには,「何を(what)」の論理面と「いかに(how)」の修辞面とを切り離しうるとみるのは現実的でない。また両面の関わりの定型をあらかじめ想定することも現実的でない。以下に事例に沿ってみるように,この点は,セラピストが是非「患者から学ぶ」べきアートの様相が濃い。

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