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1 はじめに
精神病理学と精神分析という2つの大いに異なるディシプリンには,それでもなお共通する性質がある。それは,医学(とりわけ精神医学)の〈外〉に立つ,あるいは,医学という〈内〉のただなかに〈外〉を導入するという性質である。
周知のとおり,現代の精神医学――臨床心理学においても同じことが言えるだろうが,今は措く――は,操作的診断基準と治療ガイドラインによって強力に組織されている。DSMやICDに代表される操作的診断基準は,症状のチェックリストによって診断を下し,エビデンスに基づく治療ガイドラインは,その診断にもとづいた介入のプロトコルを規定する。このような体制のなかでは,そこで生じることはたいてい既存の記述へと還元されてしまう。それは,すべてを〈内〉へと還元し,そこに収まりきらない〈外〉をそもそも存在しないものとみなす傾向を必然的に生み出す体制なのである。
もっとも,そのような精神医学の傾向は,あらゆる人々が「民主化」された「標準的」医療を受けられるようにするという点で,意義がないわけではない(それどころか,大いに意義があると言わなければならない)。しかし,臨床に携わる者であれば誰しもが,それだけではうまくいかないことをよく知っている。ゆえに,〈外〉の視点が必要となる。
こうして,〈外〉を捉えることの重要性に気づいた治療者の一部は,精神病理学や精神分析に関心を抱くことになる。それは,前者が症状の単なる把握や診断に飽き足らず,患者の主観的体験のあり方(現象学)や,その生き方の来歴(現存在の構造と経過)を捉えようとする試みであり,後者が患者の語りを通じてその無意識に接近しようとする試みだからである。要するにどちらも,すべてを〈内〉に還元しがちな医学という営みに対して〈外〉をひらき,人間の経験そのものに向き合おうとするからであろう。
けれども,精神病理学と精神分析というこの2つは,どのような関係にあるのか。そして,いずれも精神医学とどう関わっているのか。本稿ではこの問いを,ジャック・ラカンの1966年のある講演[1]を参照しながら考えてみたい。

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