投稿論文 論説
森田療法と道元禅―感覚的身体技法とマニュアル的身体技法について
内村 英幸
1
1福岡心身クリニック
キーワード:
赴粥飯法
,
排泄の作法
,
人間機械化と自然化
,
感覚的身体技法とマニュアル的身体技法
Keyword:
赴粥飯法
,
排泄の作法
,
人間機械化と自然化
,
感覚的身体技法とマニュアル的身体技法
pp.509-518
発行日 2025年8月5日
Published Date 2025/8/5
DOI https://doi.org/10.69291/pt51040509
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鈴木は,道元禅と森田療法の修練技法と至り得た「無心・あるがまま」の境地は近縁のものか同一性のものであるというが,果たして同じ修練技法であるか検討した。道元禅師清規以外に正法眼蔵中,只管打坐や洗浄,洗面などの日常生活の作法は,徹底的にマニュアル化され,自己身体を機械化(マン・マシーン化:鎌田)に追い込んでゆく技法である。機械化された「型」に徹することによって脱知性化し,自己を忘れ(没我),徹底的に空無化し,鏡のごとくあるがままに山川草木を映し流転してゆく,融通無碍な自然化された身体(マン・ネイチャー化:鎌田)に転換するマニュアル的身体技法である。他方,森田療法は,「型」にはまった他動的,注入的な作業を禁じて自発的活動を促し,臨機応変な行動によって自己を忘れ(没我),神経質・強迫観念の悪循環を破り,融通無碍な自然身体(マン・ネイチャー化)を体得させていく感覚的身体技法である。両者の技法は対照的であるが,森田療法の視点からは,道元禅の日常生活のマニュアル的身体技法による我執から脱却する道が注目される。さらに,治療の幅を広げるため森田療法と同じ無の思想を基盤にするヴィパッサナー瞑想法のマニュアル化された技法の併用の可能性にも触れた。今日,原法専門入院治療施設はなくなり,外来森田療法が中心になっており,上記の道元禅と瞑想法の技法を参考にして森田療法的日常生活の実践技法マニュアルの作成が望まれる。

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