私のモチベーション My Motivation
よりよい新生児医療を提供するために
多田 裕
1
1東邦大学名誉教授
pp.42-45
発行日 2016年4月1日
Published Date 2016/4/1
DOI https://doi.org/10.34449/J0055.08.01_0042-0045
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「都立築地産院からスタートした新生児科医人生」学生運動が活発化してくるなか,東京オリンピックが開催された1964年に東京大学医学部を卒業しました。その頃にはわが国のインターン制度の意義について疑問はもたれていましたが,国も大学当局も改善を実施しませんでした。卒業前の私達の医学部4年のクラスはこれを変えようと全国の医学部4年のクラスに手紙を出して呼びかけ,変革の第1歩として研修するインターン病院を学生自身で自主的に決める組織を作りました。これが翌年に「青年医師連盟」となり,1965年にはインターンボイコットそしてインターン制度の廃止につながりました。私はインターン先として東京大学病院を選びましたが,産婦人科は関連病院の都立築地産院(写真1)で研修しました。都立築地産院は1924年に聖路加国際病院の医師らの協力を得て,比較的恵まれない妊婦のための産科施設として設立されましたが,研修当時の医療スタッフは竹内繁喜院長のもと,東京大学病院分院から派遣されている名人芸的な腕をもつ産科医師達と,東京大学医学部小児科出身の藤井とし先生を中心に,東京大学と日本大学の若手の小児科の医師達が産科と新生児科に特化した医療に取り組んでおり,これが周産期医療に興味をもつ契機となりました。
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