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1950年代にオーストラリア政府の管理下のニューギニアの特定の部族(フォレ族)は,食人の風習(いわゆるritualistic cannibalism)を行っていた。フォレ族は島東部,カイナンチェーの南西に位置する海抜1,000~2,000mに住む先住民族であり,その部族には小脳失調と振戦を主症状とする進行性の致死性疾患が多く発生していた。1950年代にオーストラリア政府はcannibalismの風習をやめさせ,地域の近代化を推進した。同時期にオーストラリア政府は主な都市だけではなく,先住民の地域に病院の診療所を兼ねた出張所を開き,医療活動も始めていた。1953年,オパカに派遣されていた巡視官のノートに“kuru”と云う奇病について初めて記載されている。その巡視官の記載には「少女が火のそばで座っているのが見えた。彼女は激しく震えながら,頭は痙攣を起こしているようであった。私はその原因が呪術であり,震えが始まると続いて食事が摂れなくなり,2~3週間程度で死ぬのだ」と教えられたとある。“kuru”は現地語で“震え”や“恐れ”や“寒さ”という意味である。1955年,Zigas博士がkuruについて興味をもち,研究・調査を開始し,公衆衛生局に第1報を送った。さらに,ウイルス性脳炎を疑い,1956年にメルボルンのWalter and Eliza Hall研究所に患者の脳や血液・血清からウイルス分離や抗体検査を依頼した。1957年,Gajdusek博士がWalter and Eliza Hall研究所に招かれたときに,この奇病に興味をもち,現地に赴き,患者の診察・検査に取り組んだ。Gajdusek博士はZigas博士の観察を2つの論文として報告した1)2)。1958年,米国国立衛生研究所(NIH)の病理学者であったKlatzo博士は,kuruの脳と脊髄の病理所見がクロイツフェルイト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease:CJD)と類似していることに気づき,報告した3)。1959年にHadlow博士らが,米国から輸入した羊にscrapieが発症したことをLancetに初めて報告した4)5)。この論文のなかで,Hadlow博士はscrapieとkuruとの類似点を臨床症状と神経病理学的所見より報告し,動物への伝播実験の重要性・必要性を指摘した。Gajdusek博士はHadlow博士に動物への感染実験手法を学び,NIHでGibsやAlpersらともにkuru患者の脳乳剤をチンパンジーに接種し,その伝播実験に成功した6)-8)。1965年,Alpers博士がkuruについてさらなる重要な報告を行った9)。①フォレ族にはritualistic cannibalismがあること,②フォレ族は死んだ家族の肉を食べるか,またはkuruで死亡した人の肉を食べるとkuruには罹患しないと信じていたこと,③女性の罹患率が男性に比べてきわめて高率であるということ,④フォレ族のritualistic cannibalismでは美味な筋肉は男性が,脳や内臓は女性や子供が食していたということ-4つの事実が報告された。Gajdusek博士は,この病気は死者の脳を食べるというフォレ族に伝わった儀式によって感染しているという正しい結論を導いた。Gajdusek博士は,kuru(クールー病)を伝染させる原因物質は特定できなかったが,後の研究によりプリオンと呼ばれる悪性の蛋白質がクールー病の原因だと判明した。Gajdusek博士は,NIHでチンパンジーに対するクールー病患者脳の感染実験に世界で最初に成功し,1976年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。その際に,Gajdusek博士のラボでポスドクしていたのがスタンリー・B・プルシナーであった。彼は,彼のグループが仮説上の存在だった感染性因子の精製に成功し,同因子の主成分が特定の蛋白質1種類であることが判明したと公表し,感染性因子を蛋白質性感染粒子(proteinaceous infectious particle)と命名した1997年,プルシナー博士はプリオン研究の業績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。「KEY WORDS」prion disease,髄液,MRI
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