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私が皮膚科医を目指すことを決めたのは研修医2年目だった。私達の学年は,ちょうど臨床研修制度開始の初年度であったため1つ上の先輩達と異なり,自分の希望科を決めるまでに2年の猶予があった。最終的に小児科と皮膚科の2択に絞ることはできたが,どこかで医者といえばやっぱりメジャーに行くほうがよいのか,マイナーでもよいのかを迷っていた。そんななか日々の研修,また色々と見学に行くうちに,『診てわかる』ことのカッコよさに引き込まれ,皮膚科への魅力を感じるようになった。そして皮膚科に決め教授室を訪れたことを今でも覚えている。まさにそのときが運命の扉をたたいた瞬間だったかもしれない。約20年経った今振り返ってみてもあのときの選択は本当によかったと思える。あのときには想像もしていなかった世界があった。皮膚科のレジデントとして日々の臨床での業務を行うなか,最初の試練は地方会の発表で,スライドの作り方もわからなかったが,そのイロハを教えてもらい,予演会でみっちりとしごかれ,実際の発表,質疑応答も緊張しながら取り組んだ。その後,学生時代には考えていなかった大学院への道を教授に勧められ,“研究をすることで臨床を高いところからみることができるんだよ” という言葉に,それならやっておいたほうがよいのかなという漠然とした気持ちから大学院に入ることを決めた。そして皮膚科を離れ,免疫の基礎研究を行っている先生の教室に通い始めた。基礎研究の厳しい世界に飛び込んだ訳だが,医師になって感じたことのない自分だけではどうにもならない辛さを感じ始めていた。そんななか,京都へボスが異動することになり,すぐに一緒に行くとは言えなかったが京都に住んでみたいという興味本位から,京都へ移ることにした。そこでは同じ世代の多くの優秀な若手研究者がおり,たくさんの力をもらった。実験に使う試薬やマウス,機器のことを聞いたり,研究がうまくいかないときに相談をしたりと本当に大切な時間を過ごすことができた。ここで得たものは今でも自分の力になっていると感じる。そして自身の大学で臨床に戻り,病棟のチームリーダーや医局長を務めたり,いくつもの委員会に参加したりすることで得られたこともある。こういった仕事をどう考えるかは人それぞれ異なるが,いつも教授が,“面倒くさいと思ったら,全部面倒くさい” という言葉をおっしゃっており,どんなことも雑用と思うことなく,もらったチャンスを続けてきた。
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