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は じ め に
頚椎後方除圧手術は椎弓切除後の後弯形成などの欠点を克服するために後方組織を温存した片開きといわれる平林法1)が1978年に,両開きといわれる黒川法2)が1982年に報告され,日本を中心に世界に広まった.1990年代のCervical Spine Reserch Society(CSRS)のlaminoplastyのシンポジウムでは演者のほとんどが日本人,座長も日本人で,日本人同士が英語でディスカッションしている光景がよくみられ,laminoplastyが世界を席巻した時代であった.
当時,筆者の所属していた弘前大学整形外科教室では故・原田征行教授を中心に,棘突起縦割法頚椎脊柱管拡大術,いわゆる黒川法を採用して頚髄症や頚椎後縦靱帯骨化症の患者に適用していた.非常に優れた手術方法であるものの,オリジナルの方法では縦割した棘突起間には自家腸骨を整形したものを挟んでワイヤーで縛って固定し,当初は第3頚椎から第7頚椎までの5椎弓の拡大を行っていたので,5椎弓分の移植骨はかなりのボリュームであった.
当時は生体材料としてセラミックスが注目を浴びてきた時期で,1981年には整形外科セラミック・インプラント研究会(現・整形外科バイオマテリアル研究会)が発足し,骨欠損部や採骨をした腸骨にスペーサーとして使用されたり,人工関節の一部にも使用されるようになってきた.セラミックスは生体親和性に優れた材料であったが,1980年代前半に用いられていたのはアルミナセラミックで,骨との親和性はよいものの積極的な結合はできずbioinert ceramicと呼ばれていた.その後,骨と積極的に結合する能力をもつbioactive ceramicが開発され,その代表であるハイドロキシアパタイト(以下,アパタイト)が1980年代後半から生体に使用されるようになった.
以上の流れの中でアパタイト製の棘突起スペーサーが開発された経緯について述べる.

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