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看護職、とりわけ、看護婦ほど社会の中でイメージが作られていった職業はないであろう。小説から、映画、テレビドラマ、週刊誌、風俗に至るまで、看護婦はさまざまな形で登場してきている。しかも、その登場人物は必ず、ナースキャップをつけ、ユニフォームを着ている「白衣の天使」といわれるステレオタイプの像である。30年前、私は看護婦として精神病院に就職をするにあたって1つの注文を出した。ナースキャップと白衣は患者と看護婦の間に隔たりをつくるので、それらを着用しないで仕事をしたい。看護を仕事として選ぶに当たっての私のささやかな抵抗であった。幸いにも、私はユニフォームを着ないで精神科デイケア看護婦として働き始めることができた。その後、私の看護婦のユニフォームに対する考えは変わっていったが、社会の中の看護職のイメージ(虚像)と看護の本質との間のギャップを埋められずに悩んだ。看護婦人生半ばの米国留学は、私に看護学の謎を少しだけ解いてくれることになったのである。
看護職の悲劇は、看護学が医学の傘の下に置かれたことにあり、病院という場において医師=男性、看護師=女性という構造が作られたことにある。しかし、それ以上に、看護が必要とする柔軟な思考=波状型思考と、医学が基盤とする自然科学の発想=直線型思考との違いにあると私は考えている。もちろん、看護も論理的な思考と言われる直線型の思考によって進められているが、それだけではなく、看護は、不確実性や主観性、まるごと現象を把握する物の見方など、女性の発想といわれる思考方法によっても成り立っている。米国において1960年代に始まった女性の自律・自立と社会的進出の運動は、女性特有の発想や価値に注目した。その1つがCarol Gilliganの『In a Difference Voice』(1982)であり、Mary Field Belenkyらによる『Women's Way of Knowing』(1986)の問題提起であった。米国においては、看護学が科学を基盤とする学問であることを証明することで、知識を体系化し、専門職としての地位を確立していった歴史があるが、その背景に、社会における女性の進出があったことは軽視できない。
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