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◆「不惑」とは,「まどわないこと」と『三省堂国語辞典 第7版』にあります。迷わず動じず,どっしりと構えた器の大きな人間,というイメージを喚起させ,好きな言葉です(書き初めの言葉はでこれでしたね;前号参照)。40年間でそのような人間になりなさいと,孔子さんはおっしゃっているのだと思うのですが,最近は寿命も延びていますから,もう少しお時間をいただきたい。
一方で,これくらいの年齢になったら,AにしようがBにしようが,その後のあなたの人生に大差は生じないから,迷う必要などないよ,意味ないよ,時間の無駄だよ,と言われているのかも,と思ったりもします。
◆大差ないとはわかっていても,どっち(どれ)かに決めなければならない場面は多々あります。今日のお昼は何を食べるか,明日は何を着て出掛けるか。選択肢が多いのは豊かさの表れですから,幸せなことです。でも,面倒。
面倒だなと思うのは,ランチにセットで付いてくる飲み物。ないならないで構わない“おまけ”です。なのに,「お飲み物は何になさいますか」「ホットとアイスはどちらに」「ミルクと砂糖はお付けしますか」「お食事の前と後,どちらにお持ちしますか」と,一つ一つ決めなければ解放してくれません。
このとき,今日の天気,今の体調および喉の乾き具合,注文した食事内容との組合せ,値段,店の混雑状況,などなど,あらゆる角度から検討して最適解を素早く導くことは難しいですし,そもそも,選択の根拠を求められるわけでもないので,慣れた「いつもの」に行き着きます。
◆LiSAでも,「吸入麻酔薬を使うか,静脈麻酔薬を使うかは,どちらでも構わない。自分の慣れたほうを選択する」に類する記載がしばしばあります。そして,このような記述に出会うたびに,どちらにも慣れていなかったらどうすればいいのかな,と考えてしまいます。また,慣れたほうがあったらあったで,そちらばかりを選ぶことになり,もう一方との慣れ具合の差は広がり,その麻酔科医の選択肢を狭めてしまうのではないか,ということも気になります。
日々,多くの症例があり,難しい症例も含まれているでしょうから,そちらの検討にエネルギーをかけて,どちらでもいいことは「いつもの」にするのは,リスクが減りますから妥当だと思います。けれど,麻酔もそれ以外でも,リスク&ベネフィットが同等ならば,たまには「いつもの」から脱却してみてもよいのでは。
◆どちらかを選ばなければいけない。そして,どちらにも道理はあり,どちらを選んでも行き着く先に大差がないならば,あれこれ迷って時間を空費せず,ジャンケン,コイントス,サイコロ,などの偶然性に委ねてしまうほうが,半分近い人が参加しない多数決よりも,ずっと公正だと思います。
最初は「え!」という目が出たとしても,回を重ねれば,適当にバランスがとれるはず。その偶然性と意外性を楽しむゆとりがもてたら,不惑への道を一歩進めるのかもしれません。
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