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■山口瞳がかくも野球通とは知りませんでした。柳原良平のいつものイラストを意匠に,江分利満氏の『昭和プロ野球徹底観戦記』が上梓されました。もっとも,本書に収められたものの大半は「報知新聞」や『漫画讀本』への寄稿,当時小学生の身としては知らなくて当然。その彼の「プロ野球は年々つまらなくなるようなきがして仕方がない」の文章,平成プロ野球批評ではないかと疑いたくなってしまいます。で,なぜつまらなくなったか,それは,野球が「野球」ではなく「勝負」になってしまったから。「プロ野球らしい,野球の専門家らしい冴えたプレイをみたい」のであって,「勝負がみたいならTVのスポーツ・ニュースを見ればよい」と言います。なんだか,これも平成の話。
勝負,すなわち「結果“outcome”」。で突然,何の脈絡もなく,有明の血液癌専門家の言葉を思い出しました。「最近のジャーナル,統計がどうのこうのと,いわゆる症例報告がないがしろにされ,それどころか排除されつつあるのは残念」。そして,「若い人はすぐにエビデンスは?と言い,ないと応えると,鬼の首を取ったかのように,その治療を否定する…そこには治療の必要な患者がいるのに」と嘆かれていました。江分利満氏なら「臨床家らしい冴えた臨床力をいかに発揮すべきか,まさに見せ場,結果だけならジャーナルのメタ解析を読めばよい」となるのではないでしょうか…。今月号の「ヒューストン留学記(その後)」にも,システム化しやすいEBM偏重にふれ,「1件でも著効例があるのなら,それに賭けてみたいと思うのが人間でしょう」とあります。さらに,ブックレビュー。「『聴く』ことの力にすがる臨床哲学の必要性を痛切に感じてほしい」との書評者の訴えは,臨床医学における,いわゆるエビデンスがない治療に一縷の望みを賭ける患者,人間の声を聴くことにつながるかもしれません。
で,連想はさらに飛び,フランスの高名な外科医のもとに留学した人から,聞いた話。留学初日,彼が言われたことは「外科医としての腕を磨くには,ひたすら患者と向き合い手術をすること。そして,既存の治療法でも患者が治らないとき,そこで初めて研究を考えればよい」ということ。その後,教育の場についた彼は,若手にどんどん手術をさせていたら,「楽してますね」と言われたとか。LiSA創刊前に聞いた話。そういえば,今月の症例検討のトビラには久米仙人の逸話。要は,医療の現場(臨床)における生身の人間をみることの重要さ。言わずもがなのことが,なぜ今言われなければならないのか…。
で,今月の徹底分析で考えさせられたことは,メタ解析では切り捨てられてしまうだろう,現場での壮絶な格闘。生の声を聴き,共感し,そのうえで,分析・統合し,新たなステップに向かって行きたいもの。江分利満氏は「理外の外」と言います。「セオリーとしては正しいのである。ただし勝負としては何かが欠けている」,「いいと思ったのが実はよくない。悪いと思われたのが実は好機となっている。それは野球のセオリーまたは世間の常識からいえば,おかしいのであるが,現実はそんなふうに進行する」と。
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