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from LISA
pp.841
発行日 2007年8月1日
Published Date 2007/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.3101100408
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- 文献概要
◎それは5月最後の休日,参議院選挙公示前,立候補予定者の街頭演説でのことでした。立候補予定者演説の前,応援者が「××がおうったえを聞いていただきたく」と話し始めたのには耳を疑い,この候補には間違っても票は入れないぞと思いました。その後『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(太田直子著,光文社新書)を読んでいて驚きました。同じことが書かれていたのです。
「残暑厳しい9月の昼下がり...ガラガラになった声を張り上げる。「皆様にワタクシの政策をお訴えさせていただきたく...」わたしはその瞬間,どんなに政策がすばらしくても,こいつには絶対投票すまい,と固く心に誓った。...政策を練る前に,日本語教室に通って出直してくるべき」とあります。「させていただきたがる人々」と題されたこのエッセイ,ここから「~させていただく」の使われ方に,主体的な意思よりも,相手の許可・裁量に重きが置かれていると分析,さらに「一見,相手を第一に立てる美しき謙譲だが,裏を返せば相手に判断を委ねる無責任な態度にも感じられる」と説きます。
先日,病棟回診時「(患者さまの)お腹を診させていただきます」と言う担当医に教授が「患者のお腹は診させてもらうのではない。患者と医者は対等,診るで十分,診てやるのだ」と諭したという話を聞きました。そのときの患者も,その教授の言葉に賛同したのはいうまでもありません。医療のサービス業的側面が余りにも強調されすぎたせいか,その主体性が希薄になってきてしまっているのではないかと心配です。
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